思い出の9.8



松橋一塁塁審の腕が真横に開かれたのを見て、有田修三は安堵の表情を浮かべた。
一塁手ポンセは帽子を叩きつけて怒りをあらわにした。


1986(昭和61)年9月8日、後楽園球場、ジャイアンツ対ホエールズ23回戦。
この試合は6日に行われるはずだった同カードが雨天中止になったための予備日、
しかも平日の月曜日に開催されたためか巨人戦にしては珍しく空席の目立つ試合となった。
ここまでの対戦成績はジャイアンツの15勝6敗1引き分け。
前年優勝のタイガースは不調、ジャイアンツは2位のカープに2ゲーム差をつけて首位を走っており、
5位ホエールズとの対戦は首位固めをするのにもってこいのカードともいえた。

ジャイアンツ・槇原、ホエールズ・大門の両先発で始まった試合は、
3回裏にクロマティの左前安打でジャイアンツが1点先取。
対してホエールズは6回表に加藤博一の内野安打で1点を入れ同点とした。
そして8回裏、ホエールズは押さえの切り札・斉藤明夫を投入した。
この回はまず、原が三塁ゴロで1アウト。その後の吉村が初球ストレートを右前安打で出塁。
中畑のライトフライで2アウト後、鴻野の代打岡崎がカウント2-3からカーブを中前安打。
自動的にエンドランがかかっていたため吉村は三塁に達し、ランナー一、三塁となった。
そして、打席には有田修三が登場した。

有田修三。昭和26年9月27日山口県生まれ、当時34歳。
先シーズン終了後、淡口との交換トレードでバファローズからジャイアンツに移籍してきたベテラン捕手である。
ジャイアンツ王監督は有田に耳打ちをした。
「ポテンヒットでもいい。とにかく90度の広い範囲を意識しろ。」
初球のボールを見逃したとき、有田は三塁を見た。ホエールズの三塁手・山下は遠く小さく見えた。
「ヨシ、あれだ。」有田は2球目、内角のストレートを三塁前にバントした。
知っての通り、2アウトからのバントはバッターが必ずセーフにならなければ意味がない。
ホエールズの内野陣は、足の遅い有田だからまずバントはないだろうと考えていた。
しかし、有田はバントをした。山下は意表を突かれた格好となったが、
山下とてセ・リーグを代表する名三塁手である。素早く捕球し一塁に送球した。
そして有田はヘッドスライディングで一塁ベースに飛び込んだ。微妙なタイミングである。
山下は言った。「有田さんの足を考えて深めに守っていたのは事実だけど、自分としては良いプレーだった。
100%アウトだと思った。」

「セーフ!」
松橋一塁塁審の声が響いた。
三塁ランナー吉村が生還し、ジャイアンツに勝ち越し点が入った。
この判定にホエールズ一塁手、ポンセは激高した。
帽子を叩きつけ、「100%以上アウトだ!駆け抜けていればセーフだが、倒れ込んだだけ。
足は地面に付いていたけど手はベースに触れていなかった。」とスペイン語でまくし立てた。
プエルトリコ出身、カルロス・ポンセの母国語はスペイン語だ。
この抗議中、ホエールズはタイムをかけていなかったため、
一塁ランナーの岡崎まで生還させてしまうことになるのだが、それはもうついでのことになっていた。
スライディングは派手に滑る印象を受けるので誤解されやすいのだが、
地面を滑るということはそれだけ摩擦が大きくなり、ブレーキがかかる。実際一塁は駆け抜けた方が遙かに速い。
二塁にスライディングをするのはブレーキをかけて安全に塁上で止まるという目的があるからである。
高校野球でよく一塁にヘッドスライディングするシーンを見かけるが、
それを見てアナウンサーや解説者が「気迫のプレー」と誉めるのはどうかと思う。
ただこのときの有田は初めからスライディングしようとしてスライディングしたのではなく、
走っていたら足がもつれそうになったので、ポンセが言うように一塁に<倒れ込んだ>ようである。
セーフの判定が告げられると、三塁側のホエールズベンチから近藤貞雄監督が飛び出してきた。
近藤貞雄は激情家で知られた監督、審判への暴言で退場経験が何度もある。
「アウトじゃないかっ!」とホエールズの野手をベンチに引き上げさせ、試合放棄覚悟の抗議である。
近藤監督はポンセの言うとおり、有田の手はベースに触れていなかったと抗議した。
ここでベンチの声を聞いてみよう。
ジャイアンツ鴻野。「一塁ベース上でポンセが猛烈と抗議してたでしょ。あれ見ておかしくなったけど、
プレーが始まるとなんかジーンときちゃった。だってベテランがあんな凄いプレーでしょ。
あ、絶対勝たなきゃいけないんだって思いましたよ」。鴻野はよほど気分が良かったのか、
ホエールズの選手やファンが聞いたら激怒しそうなコメントをさらりと言ってのけた。
この数年後、鴻野はホエールズの後身ベイスターズに移籍するのだから不思議な巡り合わせである。

この抗議は5分間ほど続いたが、
最後は「お客さんのこと、巨人に対しての礼儀を考えて」の理性で押しとどまり試合続行となった。
その後、試合は槇原が9回表のホエールズの攻撃を無失点で押さえ、3-1でジャイアンツが勝利した。
試合は終了したが、近藤監督の怒りは収まらない。
「あれは完全なアウト。審判にやられました。審判が巨人の味方をしたとは言わんが、
場内の<巨人に優勝させよう>というムードがセーフのコールをさせた。審判部に厳重抗議する」と語った。
現在でも星野監督などがジャイアンツ寄りといわれる審判の判定に抗議する場面が多いが、
16年前にも同じことがあった。V9時代を経た巨人軍という存在の大きさがうかがい知れる。
松橋審判は試合後、記者団に「正直言って微妙なタイミングで迷った。感覚的にセーフと思った。
私は一度もアウトのジェスチャーをしていない」と語った。
翌日のスポーツ新聞は一面で有田賞賛の記事が多く掲載された。
これを読んだホエールズの選手たちは苦虫をかみつぶしたに違いない。
あるいは近藤監督などは初めから新聞を読まなかったかもしれない。

下位チームとの接戦をものにし、2位カープとのゲーム差を広げたジャイアンツではあったが、
結局このシーズンはカープに土壇場で逆転され優勝を逃してしまう。
「僕は近鉄との日本シリーズがやりたい。古巣との日本一争いが最高なんです。」
と語った有田の願いは叶わなかった。勝負とは皮肉なものだ。